思い出のアル
今回は先々代犬のアルの思い出です。レイは毎日元気に散歩の仮免許練習中です。
アルは1977(昭和52)年生まれで、1992年10月に逝きました。15年半の一生でした。性格は明るく、行動的、遊ぶのが大好きでした。ドライブ、散歩、階段昇り、カエルやバッタ狩、雪など、いつも嬉しそうに飛び回っていました。何でも遊びにしてしまう名人でした。
体は燃えるような赤で、目が窪み三角形でした。そのため見上げると大変間の抜けた表情になり、マヌアルと呼ばれていました。ルーは茶色で、「しばわんこ」のぬいぐるみと全く同じ色でしたが、アルはまさに赤柴と呼びたくなる色でした。子犬のとき、黒いところの多い犬は赤くなると言われているようですが、アルが我が家に来たときには、顔が真っ黒で、近所の人からタヌキの子供かと聞かれました。

1977年ですから、カラーの写真もあるはずなのですが、見つからなかったので、とりあえずモノクロの写真です。この写真でも鼻が真っ黒なのはお分かりいただけると思います。
アルは、ブリーダーや展覧会に興味がある人たちから何回か声をかけられました。色、体格、被毛が良かったようです。一度見合いもしたのですが、縁がなく、結局子供は残しませんでした。
アルは、最初外飼いだったのですが、自らの力で室内犬となりました。上がって来られないと思っていた窓枠を飛び越えて、リビングのソファーに着地、以後昼間は室内、夜は犬小屋の時代を経て、5歳のときに完全室内犬になりました。写真は窓枠を乗り越えて室内にいたときのものです。

アルは、何か嬉しいことがあると必ず飼主を見上げ、同意を求めました。まだ誰の足跡のついていない雪面があると、必ず飼主を見上げ、「楽しみですね」という表情をしました。腰の力を抜き、落ちるようなお座り、座ったままの上半身(前半身?)ストレッチングなど特徴のある動作をしました。
アルは、私が学生時代、無理がたたって片目を曇らせてしまっていたときに迎えた犬で、その後、就職、新入社員時代など悩みがあったときを共ににしました。どんなことからも遊びを見つけ、楽天的なアルとこの時代を過ごせたことはラッキーでした。
その後5年半ほどの大阪勤務時代、アルとは離れ離れになったのですが、帰宅すると大喜びし、大阪に向うときは、必死になって途中まで追いかけてきました。アルは追っかけながら、ある段階になると、あきらめて急に横を向き、「それなら勝手にしろ」という感じで、引き返し、2度と振りかえろうとしませんでした。
いつも明るかったアルも、祖母が亡くなってからの1月ほどは、元気を失くし、憂鬱そうにしていました。晩年は関節を痛め、激しい遊びはできなくなりましたが、散歩を何よりも楽しみにしていました。15年目の夏、急に衰え、夏を超せないと思いましたが、なまじ体力があるため、10月まで療養生活をおくり、最後は痛みに苦しんでしまいました。
アルは、散歩か、別の用かを、決して間違えなかったのですが、亡くなる1週間前、私が容体を見に行ったときに、散歩と間違えて大喜びしました。そのとき、アルの命が終わりに近づいているのが分りました。動かなくなった体の上半身だけ力強く起し、帰宅の挨拶をした翌日、アルは逝ってしまいました。時代は、ちょうどバブルが終焉しつつあるときでした。私も学生から働き盛りになっていました。アルの快活さ、元気さが、その時代の私の大きな活力源だったのだと思います。
チータの紹介が残っていますが、アルバムから写真をはがさなくてはなりません。アルも次はカラー写真を準備できると思います。
アルは1977(昭和52)年生まれで、1992年10月に逝きました。15年半の一生でした。性格は明るく、行動的、遊ぶのが大好きでした。ドライブ、散歩、階段昇り、カエルやバッタ狩、雪など、いつも嬉しそうに飛び回っていました。何でも遊びにしてしまう名人でした。
体は燃えるような赤で、目が窪み三角形でした。そのため見上げると大変間の抜けた表情になり、マヌアルと呼ばれていました。ルーは茶色で、「しばわんこ」のぬいぐるみと全く同じ色でしたが、アルはまさに赤柴と呼びたくなる色でした。子犬のとき、黒いところの多い犬は赤くなると言われているようですが、アルが我が家に来たときには、顔が真っ黒で、近所の人からタヌキの子供かと聞かれました。

1977年ですから、カラーの写真もあるはずなのですが、見つからなかったので、とりあえずモノクロの写真です。この写真でも鼻が真っ黒なのはお分かりいただけると思います。
アルは、ブリーダーや展覧会に興味がある人たちから何回か声をかけられました。色、体格、被毛が良かったようです。一度見合いもしたのですが、縁がなく、結局子供は残しませんでした。
アルは、最初外飼いだったのですが、自らの力で室内犬となりました。上がって来られないと思っていた窓枠を飛び越えて、リビングのソファーに着地、以後昼間は室内、夜は犬小屋の時代を経て、5歳のときに完全室内犬になりました。写真は窓枠を乗り越えて室内にいたときのものです。

アルは、何か嬉しいことがあると必ず飼主を見上げ、同意を求めました。まだ誰の足跡のついていない雪面があると、必ず飼主を見上げ、「楽しみですね」という表情をしました。腰の力を抜き、落ちるようなお座り、座ったままの上半身(前半身?)ストレッチングなど特徴のある動作をしました。
アルは、私が学生時代、無理がたたって片目を曇らせてしまっていたときに迎えた犬で、その後、就職、新入社員時代など悩みがあったときを共ににしました。どんなことからも遊びを見つけ、楽天的なアルとこの時代を過ごせたことはラッキーでした。
その後5年半ほどの大阪勤務時代、アルとは離れ離れになったのですが、帰宅すると大喜びし、大阪に向うときは、必死になって途中まで追いかけてきました。アルは追っかけながら、ある段階になると、あきらめて急に横を向き、「それなら勝手にしろ」という感じで、引き返し、2度と振りかえろうとしませんでした。
いつも明るかったアルも、祖母が亡くなってからの1月ほどは、元気を失くし、憂鬱そうにしていました。晩年は関節を痛め、激しい遊びはできなくなりましたが、散歩を何よりも楽しみにしていました。15年目の夏、急に衰え、夏を超せないと思いましたが、なまじ体力があるため、10月まで療養生活をおくり、最後は痛みに苦しんでしまいました。
アルは、散歩か、別の用かを、決して間違えなかったのですが、亡くなる1週間前、私が容体を見に行ったときに、散歩と間違えて大喜びしました。そのとき、アルの命が終わりに近づいているのが分りました。動かなくなった体の上半身だけ力強く起し、帰宅の挨拶をした翌日、アルは逝ってしまいました。時代は、ちょうどバブルが終焉しつつあるときでした。私も学生から働き盛りになっていました。アルの快活さ、元気さが、その時代の私の大きな活力源だったのだと思います。
チータの紹介が残っていますが、アルバムから写真をはがさなくてはなりません。アルも次はカラー写真を準備できると思います。
コメント
なびこさま
学生から社会人、あるいは結婚するときに飼っていた犬というのは特別な思い出がありますね。人生観も揺らぎ、環境も変わる中、ワンコは何の関係もなく接してくれる。実家のワンコに会いに行ったり、結婚して連れていったりする人の気持ちが良く分ります。私達は、その時代のワンコの楽しい思い出を持っていて幸せですね。
学生から社会人、あるいは結婚するときに飼っていた犬というのは特別な思い出がありますね。人生観も揺らぎ、環境も変わる中、ワンコは何の関係もなく接してくれる。実家のワンコに会いに行ったり、結婚して連れていったりする人の気持ちが良く分ります。私達は、その時代のワンコの楽しい思い出を持っていて幸せですね。
窓枠を飛び越えたアルくんの顔がちょっとバツが悪そうなお顔ですね、なかなかやりますねぇ。
アルくん、ルスちゃん
ずっと犬との生活があったんだと思うとうらやましいです。大変なこともあったと思いますし、つらいでしょう。
けれど、幸せだったんでしょうね。これからもですけど。
アルくん、ルスちゃん
ずっと犬との生活があったんだと思うとうらやましいです。大変なこともあったと思いますし、つらいでしょう。
けれど、幸せだったんでしょうね。これからもですけど。
あひる母さん
アルは確かにバツの悪そうな顔をしているのですが、目が三角のため、普段から困ったような顔に見えなくもありませんでした。
ワンコの寿命が人より短いという宿命的辛さはありますが、懲りずに次々飼うのですから、喜びはもっと大きいということでしょうね。やはりレイがいると家の活気が違います。
アルは確かにバツの悪そうな顔をしているのですが、目が三角のため、普段から困ったような顔に見えなくもありませんでした。
ワンコの寿命が人より短いという宿命的辛さはありますが、懲りずに次々飼うのですから、喜びはもっと大きいということでしょうね。やはりレイがいると家の活気が違います。
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アルちゃんは、学生から社会人へと生活全体が変わっていくいそがしい中で、落ち着ける存在だったのでは。
私も実家にいたマルチーズが、学生から社会人となっていく中、振り向けばそこに思い出と共に笑っています。 なつかしく、もう一度あいたいわんこです。